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『企業による気候変動・生物多様性への対応について思うこと』 木村 則昭

私事だが私はこの5月に会社員としての現役を引退し、現在は浪人生活を送っている。
現役の当時は2011年からCSR(サステナビリティ)推進を担当し、次々と更新されるCSRの世界標準(「ビジネスと人権に関する指導原則」、「GRIスタンダード」、「IIRCフレームワーク」、「SBTi」などなど)に何とかキャッチアップして、企業価値を損ねることのないようにしようと必死だったが、私が引退してからのほんの2~3か月の世界の動きを見ていると、私の後輩たちを含め、企業のサステナビリティ担当者は、今後もっともっと苦労することになるだろう、という思いを禁じ得ない。
理由のひとつとしてTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)がある。今のところTCFDに準拠して財務報告を行っている企業はまだまだ少ないように思うが、今後はそうはいかない。
7月26日付の日本経済新聞に以下の記事が掲載された。
「金融庁は企業の気候変動リスクに関する開示を義務付ける検討に乗り出す。今夏にも検討会議を立ち上げ、上場企業や非上場企業の一部の約4000社が提出する有価証券報告書に記載を求める議論を始める。法的な拘束力を持つ有報で一定のルールに基づく開示を義務付け、企業の取り組みを加速させるとともに、国内外の投資家の判断材料として役立ててもらう。早ければ2022年3月期の有報から開示を義務付ける可能性がある。」
ここで言うところの「一定のルール」がTCFDを指すことは間違いない。
有報への記載が義務付けられるとなると、企業は否応なく本腰を入れた対応をしなければならない。 経産省が公表している「TCFDガイダンス2.0」を首っ引きで参考にしながら取り組まなければならないだろう。 しかも2022年3月期の有報と言えば6月までに提出しなければならない。 それまでの短期間に気候関連のリスクと機会が財務に及ぼす影響について「シナリオ分析」の手法を取り入れた情報開示をしなければならないのだ。 サステナビリティ部門の負担増たるや、想像するだけで可哀そうになってくる。
更に加えてTNFDと、COP15で採択される予定の「ポスト2020グローバル生物多様性フレームワーク(GBF: The post-2020 Global Biodiversity Framework)」への対応が控えている。
TNFDはTCFDのC(=Climate)をN(=Nature)に置き換えた、要するにTCFDの生物多様性版だ。 今年6月4日にTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)は公式に発足している。 生物多様性条約COP15はコロナ禍の影響で開催が遅れているが、GBFの最初のドラフトが7月12日に国連からリリースされている。
https://www.cbd.int/doc/c/abb5/591f/2e46096d3f0330b08ce87a45/wg2020-03-03-en.pdf
このドラフトによるとGBFには2030年までに目指す21の目標と10のマイルストーンが示されている。 まるで「SDGsの生物多様性版」のようだ。 実はドラフトにはこのフレームワークとSDGsとの関係についても触れられていて、相互に補完し合う関係とされている。
TNFDとGBFは完全に同じ方向を目指して軌を一にしていることはお分かりいただけるだろう。 生物多様性と言えば、これまでは例えば農業、林業、水産業、飲食品業、衣料品業、製紙業など、およびそれらの流通業など、生物を原材料として直接扱う産業界には深い関係性を認識されていたと思うが、例えば電子機器、IT、機械などの分野ではそれほどでもなかったのではなかろうか。 私は電子機器業界に籍を置いていたが、会社で使用する「紙」ぐらいしか生物多様性との関係性を見いだせなかった。 しかし、今後はそうはいかない。
考えてみれば、食物連鎖の頂点に立つ人間の集団である企業の活動が生物多様性に無関係であるはずがないのだ。
TNFDは2022年末までに自然と生物多様性関連の開示のためのフレームワークとガイドラインの発行を目指している。 おそらくはTCFDと同様にやがて法令で強制力を持たせる方向に向かうだろう。 GBFは2022年5月のCOP15での採択を目指している。SDGsと同様に企業にとってはマストの取り組みとなるだろう。 サステナビリティ部門の負担は増えていく一方だ。 いや、実は負担増はサステナビリティ部門だけでなく全社で受け止めなければならない。 なぜなら、TCFD、TNFDやGBFは単に気候変動や生物多様性への対応を企業に強制するためのものではなく、もっと大きな目標、つまり経済の仕組みそのものを変えようという大きな変化の一環と捉えるべきだからだ。
気候変動対策や生物多様性維持に「カネの流れ」が向かうように、SDGsの目標達成を金融や経済面から支えようという方向に、世界の経済は急速にシフトしている。 企業はこのメガトレンドを理解し、経営の持続可能性に及ぼす影響をリスクと機会の両面から分析すべきなのだ。
冒頭から「サステナビリティ部門の負担増」をリスクとするような文章の流れだったと思うが、実はチャンス(機会)と捉えるべき、というのが本稿の趣旨だ。
GBFは来年採択されてから、TNFDは来年末にフレームワークやガイドラインが出てきてから対応しても遅くない、と考える企業は多いだろう。 しかし、GBFには21の目標と10のマイルストーンが既に示されている。 企業が何を目標に活動すべきか検討する材料はすでに揃っているのだ。 TNFDのフレームワークやガイドラインもおそらくはTCFDに準じたものになるだろう。 全く見当がつかない、ということはないはずだ。
これをチャンスと捉えて今から準備する企業と、リスクと捉えてギリギリまで対応を遅らせる企業とでは近い将来大きな差を生むことになるだろう。
サステナビリティ担当者の先輩の一人として、現役の担当者たちに大きなエールを送りたい。
今こそ腕の振るい時、頑張れ! (2021年9月)