
『経営を冠する学会であるという事を考えてみた』 吉橋 正浩
2025年8月4日
先日、理事として環境経営学会の総会に参加し仲間の講演を聴講した。実は私事ながら、研究活動を辞め大学を離れた事もあり、今回は一人の実務家として、企業側の立場で今所属する会社はどうなのかを、時折コーポレートサイトのサスティナビリティページを確認しながら聞いていた。その時、自分の中で感じた事は、誤解を恐れず表現すれば、「経営と環境の断絶」であり、質疑応答時間に質問されたある先生の指摘に、その大きな「断絶」を強く確信したのである。
釈迦に説法だがまずは「経営」とは何かを書く、あまり定義で議論が広がらないように多数が認める経営の父、ピータードラッカーの言葉を引用する(学術的引用表記は省きます)。彼の経営の定義には、2つのレイヤーがあり、上位の理念レイヤーは、「マネジメントとは人のことである」つまり、経営とは、現代の自由民主主義の中で、人が自由で民主的な生活をおくるための手段であるという事。下位の具体的定義のレイヤーは、 組織が成果(利益)を上げるための道具、機能、機関と定義され、組織の目的達成のために、人と組織の強みを最大限に生かす取り組み。単なる管理ではなく、人間の潜在能力を引き出し、組織全体の成果を最大化する事であるとしている。つまり、私の解釈ではあるが、既に経営自体がサスティナブルな理念を持つ道具であり、まっとうな経営を行えばESGは全て組み込まれ実行される類のものなのだと思う。
冒頭、自分の会社のサスティナブルのページhttps://corp.rakuten.co.jp/sustainability/を見ながらと言ったが、ここには何の特別感も無く「サスティナやってるぜ!」の強い主張もなく、教科書通りの淡々とした説明がレイアウトされているのみである。社員としては、少なくとも会社の理念や事業との齟齬はまったく感じず、無理もしていない。うがった見方かもしれないが、まっとうな経営理念を持ち、まっとうな経営をしていたら、ESGについては世の中がOKと言ってくれるレベルくらいには書ける要素が揃っているのではないだろうか。社員としては率直にそう感じたのである。
「環境経営はコストがかかるが、企業価値が高まるので事業投資とみましょう」「環境配慮はコストだが、ESGスコアがあがるのでどこかでリターンがあります」これらは、ある立場からは、まったくの正論で、実際、多くの環境系団体が同様の事をうたっている。しかし、私は、ここから企業のサスティナビリティに入って行ってはいけないような気がしたのである。これが、聞いていて感じた「経営と環境の断絶」感の本質なのだと思う。
今、多くの企業が、環境への投資を躊躇していると言われている。もしかしたらその根底にこの「断絶」が影響しているのかもしれない。この私見が正しいのか不安もあるので、「相棒」に特にESGスコアと企業価値に絞って質問(プロンプティング)し、持論の補強を試みた。相棒が説くには、
【第1に、ESGスコアと財務パフォーマンスの直接的な結びつきの不明確さがある。実際に、ESGスコアの向上と財務パフォーマンスの向上に明確な因果関係が見当たらず、ESGスコアが高い企業が必ずしも収益性が高いとは限らない。投資家や経営者はその相関関係に懐疑的である。第2に、短期的なコストと長期的な利益というギャップがあり、 環境投資の初期コストが短期的な収益に貢献せず、ESGスコアの向上により長期的には企業価値の向上に繋がるまで待てない。第3に、手っ取り早く、環境投資以外のESG要素への注力を試みる企業が多く、正しい会社経営で実現出来る社会(Social)やガバナンス(Governance)を優先する。それにより、ESGスコア全体の向上を目指すのである。投資対効果を考えれば、環境投資に比して、社会投資やガバナンス強化への投資を進めた方が、短期的にESGスコアを向上させやすく、リスクも低減しやすいのである(抜粋)】この回答にどこまでハルシネーションがあるかは不明だが、少なくとも私は彼のアドバイスで、この「断絶」の理由について納得出来た。
「相棒」の意見も含め、私が、総会で感じた「断絶」感から始まった考察で、少しだけ提言(いいたいこと)が見えてきた。それは環境経営学会が今後目指すべき方向である。それは、「経営ありきのサスティナビリティ」の研究であり考察である。揚げ足取りに聞こえるかもしれないが、Management for Sustainabilityではなく、Sustainability on Managementを徹底的に標榜するのである。例えば、企業戦略、収益モデルありきでESGロジックを(ローコストで)表層的に組み込む研究、あるいは逆説的に、ESGロジックの組み込みが企業を弱体化させる事例研究などである。ドラッカーの残した原点に戻れば、そもそも経営は社会や社員のためのものであり、経営自体にESGは内包されているとすれば、ESG観点から経営に物申す事は、実は経営側には不快なノイズとなり、不安をあおり、かといって「べき論」で押し込めるものでもなく、多分、反感により断絶を生んでしまうような気がする。
環境経営というど真ん中の名称を持つ学会が、乱立する環境系団体に埋没している。方や経営学の側からみても比較的なんでもありの経営学でありながら、経営学を核に据えないが故、経営学の一派にもなれない。多分、この中途半端さゆえにこの学会に人が集まらないのではないだろうか。この学会には経営学の先生が多数いて、大手企業で経営とESGに取り組む方も多い。どこかで環境に戻る事も考察しつつ、今は経営の中に当然のように横たわるサスティナビリティとは何かを真摯に経営学の観点で観察し研究してみてはどうだろうか。(2025年8月4日)