『サステナビリティとは相容れない米国の「国家安全保障戦略」~「カーニー・ドクトリン」と「地経学」の視点から~』川村 雅彦
2026年3月11日
昨年12月、第二次トランプ政権の世界秩序の基本枠組を示す「国家安全保障戦略」(以下、新戦略)が公表された。トランプ氏の価値観や世界観を色濃く反映したもので、外交・軍事面だけでなく世界経済にも多大な影響を及ぼす。
それでは、この新戦略について、日本(企業)はどのように考え、どのように対応すべきか。本稿では、今年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)におけるカナダのカーニー首相の特別演説、そして最近注目される「地経学=地政学×経済安全保障」を取り上げて、その方向性を考えてみたい。
【1】 世界秩序を破壊する米国の新戦略
◆自国の利益しか考えない新戦略
新戦略は「米国第一」を再強化する内容であり、「米国が世界秩序を支えてきた時代は終わった」と宣言し、自国だけの短期的な実利の最大化を図るものである。特に、外交方針として南北米大陸を中心に「西半球」を自国の“縄張”と主張し、その実現には軍事力の行使も辞さない(実際にそうした)。
これは、西半球における他国の影響力を排除しつつ、米国の利害の再構築と地政学的秩序の転換をめざすもので、自ら「ドンロー・ドクトリン」(トランプ版モンロー主義)と呼ぶ。しかし、周辺諸国からは「現代の帝国主義」として強い反発を招いている。他方、北極圏に位置するグリーンランドの地下資源を求めて、「同盟国」の欧州にも無理難題を押し付けた(後に、EUと「NATO枠組」で合意した)。
また、冷戦後の世界秩序に対する米国の戦略(自由貿易と人権尊重の重視)は誤りであったと断言し、その結果、米国優位性の基盤である中間層と産業基盤が空洞化した、と主張する。それゆえ、世界中のサプライチェーンを国内回帰(製造業の復権)させるために、米国は全ての国と関税で「取引」する。
◆新戦略は筋書き通りにいくのか?
一律関税で外国製品を締め出せば、米国内の生産量は増え、雇用が生まれる、と認識する。短絡的な発想だが、実際はどうか。物価上昇の中で、この1年で雇用自体は増えたが、増えたのはAI分野が中心で、製造業や建設業では減った。移民制限で人手不足が労働集約産業を圧迫しているからだ。
しかし、2月、トランプ氏が多用してきた「相互関税」を違憲とする連邦最高裁の判決が出た。これまでのように恣意的な運用はできないが、それでも根拠法を変えて新たな関税を繰り出してくるだろう。今後、企業からの関税還付の請求訴訟は増えようが、当面は混乱の中で不確実性はなお高いと考えられる。
◆ソフトパワーを否定し、サステナビリティとは相容れない新戦略
新戦略は、米国自身が主導してきた戦後の世界秩序(民主主義や人権などサステナビリティにかかわる価値観を含む)、米ソ冷戦終結後のグローバリズムと自由貿易体制を自ら崩壊させるものである。
米国の巨大な市場を背景に、トランプ氏には軍事力・経済力による「ハードパワー」しか見えておらず、これまで米国が培ってきた価値観や文化力による「ソフトパワー」を無視・否定している。その“隙間”に他国が入り込み、やがて米国の衰退を招くとの指摘もある。これを象徴するのが、実業家マスク氏が主導した、昨年のUSAID(米国国際開発庁)の解体であろう。
同庁は、米ソ冷戦時代の1961年にケネディ大統領によって創設された。その目的は、米国の国際的な影響力を高めるべく、発展途上国の社会・経済基盤の開発を支援することにある。具体的には、人道支援、感染症対策、貧困削減、教育支援、環境保全、民主主義の促進など多岐にわたる。しかし、トランプ氏は「海外への無償援助はムダ、納税者の負担」と主張し、昨年5月に正式に廃止した。
さらに国益に反するとして、米国は今年1月、パリ協定から正式に離脱した。それだけでなく、WHOやユネスコ、国連人口基金、国連大学を含む66の国際組織・条約・協定から脱退する。これは、地球規模のサステナビリティ課題の解決(すなわち、SDGsのめざすこと)とは根本的に相容れない。
【2】 “救い”はカーニー首相のダボス会議演説!!
◆米国との対立も辞さない覚悟
カナダのカーニー首相(元イングランド銀行総裁、国連の気候変動担当特使、TCFD創設を主導)がダボス会議で行った特別演説『原則と現実:カナダの進む道』が、多方面で注目されている。
「ルールに基づく国際秩序は終わった」と明言し、多国間主義に背を向け二国間ディールを多用するトランプ氏の姿勢(対話より取引、理念より力)に危機感を露わにした。この演説は「カーニー・ドクトリン」と名付けられ、混乱の時代に一つの航路を指し示す羅針盤として、特に欧州では評価が高い。
◆「中堅国」は結束し行動せよ!
カナダのような「中堅国」は決して無力ではない。「ジャングルの掟」を再現させてはならない。人権や主権、持続可能な開発、連帯、領土保全などの一貫した価値観を掲げて、大国間競争に対抗できるよう、結束して強靭で新たな世界を築くことが重要だと呼びかけた。
演説後はスタンディング・オベーションに包まれたという。なぜか。国家にも企業にも刺さる言葉に溢れていたからである。例えば、「世界秩序は元に戻らない」「弱者の力は誠実さから始まる」「貿易・決済・供給網・生産・販売が覇権国に飲み込まれる」「交渉の席に着かなければ、メニューにされる」。
◆この3月、カーニー首相が来日した
アジア太平洋3カ国訪問として、インドと豪州に続き来日した。カーニー・ドクトリンの実現に向けた素地創りである。米国の自国最優先政策と中国の経済的圧力で国際秩序が揺らぐ中、首脳会談では日加関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げし、サイバー対策と経済安全保障で連携を図る。カナダは大国依存を脱するために、資源、技術、資本の3点で戦略的な自律性と不可欠性を磨いている。
【3】 日本企業は「地経学的能力」の向上を
◆経済が“武器化”する時代
世界の分断が進んでいる訳ではない。むしろ、サプライチェーンを通じて世界全体の相互依存関係がますます深まる中で、自由貿易を旨とするWTO原則に基づく「従来型のグローバル化は終わった」のであり、「経済が“武器化”する時代に入った」とみるべきであろう。
経済の“武器化”は大国間でも激しい。米国と中国は軍事・経済・技術で覇権争いを演じているが、それ自体が、相互になくてはならない存在となった証左である。AIや通信・量子分野での主導権獲得に向け、半導体の中国への輸出と重要鉱物の中国からの輸入は、互いに重要な取引カードとなっている。
「地経学」は「地政学」と同様に、国家は地理的に規定されることを前提とするが、国際秩序を考える時、さらにその経済的資源(天然資源に限らない)に着目する。そのキーワードである「経済安全保障」は、他国から経済的手段による規制や圧迫を受けた場合、それに対抗しうる能力と定義される。
◆巧妙化する「経済的威圧」
トランプ関税は、米市場へのアクセスを“餌”にした地経学的パワーの行使であり、「経済的威圧」の典型である。ある主権国家が貿易・金融・投資、技術、サービスなどの経済的手段を恣意的に用いて、相手国の政策や行動を自国の政治的・戦略的利益に沿う形に強制的に変えさせようとする行為である。軍事力を行使することなく、相手国の経済や国民生活に深刻な打撃を与えることが狙いである。
近年、経済的威圧は国内法や行政手続き、あるいは市場力学や国民感情などを装って、巧妙になりつつあり、いくつかのパターンがある(下図表参照)。なお、2023年にEUは中国を念頭に置いて、経済的威圧に対する対抗措置を制定できる「反威圧手段(ACI)規則」を採択した。
図表:「経済的威圧」の典型的なパターンと事例

(資料)諸資料より筆者作成
◆日本企業は「地経学的能力」を育成せよ!!
今後もグローバル・サプライチェーンは厳然と存在し、相互の結びつきはさらに深化する。このような時代に日本企業は、どのような対策をとるべきか。よく言われるのは、①サプライチェーンの強靭化とリスク分散、②貿易法務の高度化と危機対応計画の整備、③官民連携の強化と国際的枠組の活用である。これを地経学的な経済安全保障の観点からみると、そのキーワードでもある2つの戦略が見えてくる。
- 戦略的自律性:別の選択肢をもつことで、特定の国に過剰に依存しない状態を作り出すこと
- 戦略的不可欠性:サプライチェーンで不可欠な存在になることで、威圧を受けにくくすること
軽々には言えないが、日本は地下資源には恵まれないものの、人材・技術・資本、そして「環境意識」という地経学的な素養をもつことから、世界に伍することのでる「地経学的能力」を短・中・長期の時間軸で育んでいく必要がある。
〔参考文献〕
ホワイトハウス『アメリカ合衆国 国家安全保障戦略 2025年11月』:(日本語訳全文)
https://note.com/texastea/n/nc0c2461e6968
マーク・カーニー『原則と現実:カナダの進む道』2026年1月、ダボス会議特別演説(日本語訳全文)
https://www.japan-aala.org/wp/wp-content/uploads/2026/02/20704.pdf
WEF(ダボス会議)のホームページ「Geo-Economics and Politics」(地経学と地政学)2026年3月10日閲覧
https://www.weforum.org/stories/geo-economics-and-politics/
鈴木一人『地経学とは何か 経済が武器化する時代の戦略思考』新潮選書、2025年9月