
『大量絶滅の時代に生きる』 岡本 享二
2024年6月13日
夏を前に新聞やTVが『果実に被害をもたらすカメムシの大量発生が予測される』と、殺虫剤などによる駆除方法と共にニュースとして伝えている。
杜の中にある我が家には、以前からカメムシや蜘蛛が居候しており、愛着を持って見守ってきた。蜘蛛はピョンピョン飛び跳ねる小さなものから、一瞬ギョッとする手のひらサイズの足高蜘蛛も来る。「早く出て行ってくれないかな」と思いながら様子を見ていると、部屋を移りながら、そのうち居なくなることが多い。我が家では蜘蛛を駆除しないので、懐いてきて人の気配を感じても逃げないようになっている。
カメムシは懐くことはないけれど、白いレースのカーテンに堂々と留まっていることが多い。紙片に乗せて外に出すようにしているが、ホームベースのような形に愛嬌があって毛嫌いするほどではない。潰さなければ悪臭の被害もない。
昆虫といえば、夏になると想い出すことがある。
小学校5年生のとき初めて臨海学校に参加し、伊豆の今井浜で2泊3日の集団生活を過ごした。遠浅の海で泳ぎ、遊んだ。3時のおやつには瓶に入った牛乳を、左手を腰に当ててラッパ飲みにし、形の崩れたトマトを丸かじりした。
宿舎は海の近くにあったお寺だった。食堂で夕食を終えると、就寝時間は8時だが、遊び疲れて眠くてしかたがない。皆なで寝室にあてがわれた大広間に行ってみると、一緒に来ていた(当時の)教育ママが、「虫がいっぱい居たので、さっきバルサンを買ってきて、今、駆除しているから、呼ぶまで食堂で待っていて」という。
声が掛かって寝間に行ってみると、入り口に小さなバケツがあった。その中には、びっくりするほどの量の蜘蛛や蛾がバケツ一杯に掃き集められていた。蜘蛛は手足を力なく空中で動かし、蛾は羽をばたつかせて蠢いていた。柱時計を見たら8:18だった。「あんなのと一緒に寝なくて良かった」と安心して深い眠りに落ちた。
今、述べたことが小学生の体験した表面史とすれば、裏面史がある。
バルサンで弱り切った虫で一杯のバケツに向かって、手を合わせて拝んでいる小母さんが居たのだ。モンペに割烹着の、お手伝いに来た地元の小母さんか、お寺の方だと思うが、「なんまいだ〜なんまいだ〜」「こんな殺生はするものではない」「都会の人(教育ママ)は何も知らない」「すぐに虫はまた湧いてくる」と、我々小学生に聞かせるでもなく、独り言ちていた。
そのときは「変わったことを言う人だな」としか思わなかった。それにしては鮮明に覚えていることが不思議だ。しかも、この出来事は歳を重ねるにしたがって(というか、環境問題に深く入り込んできて)益々、あのときの小母さんと同じような感慨を持つようになった私自身と不思議な縁を感じる。
昆虫の種のみならず、あらゆる生物の種の減少が急である。
種の減少率(年間)は、「恐竜時代は1年間に0.001種、1万年前には0.01種、1000年前には0.1種、100年前は1種の割合で生物が絶滅。絶滅のスピードは加速され、現在では1日に約100種。1年間に約4万種の減少」が研究者の一致した見解である。
世界中の種の減少を正確に数えることはできないが、例えば、ドイツの自然保護区では、この25年間に昆虫の3/4が消えたそうだ。その原因は周辺の森林が農地に変えられ、農薬が大量に使用されたためと結論付けられている。同様にフランスでは、農業地域における昆虫の減少が鳥の激滅を呼び、最近の15年間で鳥の個体数が1/3に減ったと伝えている。
アマゾンの原始林が大規模に破壊されて、単一植物(大豆やトウモロコシ)の栽培地と化し、大量の農薬と大規模農法により自然を破壊していることは周知の事実だ。昆虫が激滅すれば、鳥のみならず、あらゆる動物の存在が危ぶまれる。昆虫は植物の受粉と繁殖に欠かせないだけでなく有機廃棄物を分解して土に変えている。他の数千種類の生物の食料にもなっている。取るに足りないような存在であっても、生命の網の重要なコマなのだ。
気候変動については、「カーボン・ニュートラル製品の開発促進」など、漸く企業にも浸透し始めて、ビジネスと温暖化対策が結びつく傾向が出始めた。一方、生物多様性は各々の企業に特定できる問題ではなく、地球規模でのコンセンサスの元に徹底させねばならないところが難しい。
これこそ、我が環境経営学会が率先してリードする分野だと思うが、皆さまはいかがお考えでしょうか?(令和6年6月13日)