
『改めて企業が取り組むべき「マテリアリティ」を考える』 竹原 正篤
2024年3月13日
早いもので今年も巻頭言を書かせていただく時期がやってきた。今回は、「マテリアリティ」について書かせていただきたい。マテリアリティについては、2023年7月14日に配信された学会のメルマガ第79号の巻頭言で山吹善彦理事が鋭い考察をされている。この中で、山吹氏は、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が2023年6月に公表したサステナビリティ開示の最終基準のうち、「全般的な開示要求事項(S1基準)」について、その解釈と定義、適応方法で注目していたマテリアリティの扱いが、企業活動や事業に影響を及ぼす環境・社会要素を重要とする「シングル・マテリアリティ」のみを適応することが正式に決定したことから、「サステナビリティの大いなる敗北」といわざるをえない結果となったと深い懸念を示されていた。筆者も山吹氏の意見に基本的に賛成の立場であり、改めて企業がマテリアリティをどのように捉えるべきか考えてみたい。
山吹氏も書かれていたように、サステナビリティ経営の文脈で用いられるマテリアリティには、基本的に2つのマテリアリティ概念がある。欧州委員会は、2019年に発表した気候関連情報の報告に関するガイドライン(以下「欧州委員会ガイドライン」)の中で、マテリアリティの考え方を企業価値に影響を与える財務マテリアリティ(Financial Materiality)と企業が外部に与える環境・社会マテリアリティ(Environmental & Social Materiality)に分類した。
1番目のマテリアリティである財務マテリアリティは、企業の価値創造に影響を及ぼす重要な環境・社会課題のリスクと機会に関する情報である。財務マテリアリティは、投融資者の意思決定に影響を与える可能性がある情報であり、投資家が最も高い関心を示す。シングル・マテリアリティともいわれる。ISSB基準やTCFD提言は、財務マテリアリティに主眼を置いたサステナビリティ情報開示の基準を策定している。2番目のマテリアリティである環境・社会マテリアリティは、企業活動が環境や社会に与える影響に関する情報である。ダブル・マテリアリティともいわれる。環境・社会マテリアリティは、国民、消費者、従業員、取引先、地域社会、市民社会組織にとって最も関心がある情報である。
2019年の欧州委員会ガイドラインにおける重要な記述は、「欧州非財務報告指令において、マテリアリティは財務マテリアリティと環境・社会マテリアリティの両方を対象としている」と明示した点である。この点で、財務マテリアリティの観点のみで情報開示の枠組みを構築しているISSBやTCFDとはマテリアリティの捉え方が異なっている。同ガイドラインはまた、「2つのマテリアリティは、すでに一部のケースで重複しており、将来的には重複する可能性がますます高まる。気候変動に対応して市場や公共政策が進化するにつれて、企業が気候に及ぼすプラス・マイナスの影響は、ますます財務マテリアリティになる」と、2つのマテリアリティが静的・固定的なものではなく、環境・社会マテリアリティが財務マテリアリティに動的に変化しうることを指摘している。この点について、同ガイドラインは更に、「より多くの投資家が、彼らが運用する投資ポートフォリオの気候への影響をより深く理解し、測定するために、投資先企業が気候に及ぼす影響を知る必要があると考えている」と、投資家サイドも、財務マテリアリティだけを見るのではなく、環境・社会マテリアリティに関する情報も分析する必要があると記述している。この考え方は、2020年9月に当時のCDP、CDSB、GRI、IIRC、SASBの5団体が出した声明で、ダイナミック・マテリアリティという概念で整理された。
筆者は、2019年の欧州委員会ガイドラインにおけるマテリアリティについての論点整理は説得力があると考えている。
ここで昨年7月の山吹氏の巻頭言に戻りたい。以下は山吹氏の記述からの引用である。
ISSBの基準が提示され、日本ではサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2024年度中に日本語版の確定基準公開に向けて動きだしています。EUのように、この基準とは別に、国として『ダブル・マテリアリティ』を内包した基準を提示し、実践していくことは考えにくく、ISSB基準に従うことでよしとするという今後の流れが予想されます
企業が社会や環境にもたらす重大な影響(外部不経済/負の外部性)に対して、どこまで責任をとるのか、企業の責任を追及するため、投資家も含めたステークホルダーからプレッシャーを与えるという本来の活動は頓挫しようとしています。事業会社が負の外部性をどこまで考慮すべきかについて、一部の責任投資家による「対話」に望みを託したいけれど、大勢においては、企業や投資家にとって収益を上げ続け、成長をつづけるためのマテリアリティのみが適応されようとしています
この『負の外部性』を無視することは、直接/間接的に次の世代に負債を残し、その負の影響は加速化し、大きくのしかかってきます。ISSB基準の運用により、金融/事業会社に最低限配慮すべき事項を普及させながら、産業界、学術機関、行政、NPO/NGO、そしてマルチステークホルダーに対し、「負の外部性」を踏まえ働きかけを行うことが重要です。環境経営学会としてその役割を再認識し、次のアクションを促すような活動に転換していく必要があると思います
S1基準の中でマテリアリティは外形的に「シングル・マテリアリティ」とされているように読めるが、『IFRS S1号「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項」[案]に関する結論の根拠』(2022年3月)を読むと、ISSBはダブル・マテリアリティ(環境・社会的マテリアリティ)を否定しているわけではなく、むしろ、シングル・マテリアリティとダブル・マテリアリティは相互に関連するものであるとの理解を示している。また、基準の中では使用されていないが、ダイナミック・マテリアリティについても解説しており、ダブル・マテリアリティを容認しているように思える。したがって、企業は、投資家が求めている情報だからと安易にシングル・マテリアリティ(財務マテリアリティ)に特化した取り組みと開示を行うのではなく、常に自社の幅広いステークホルダーの期待を念頭に、自社事業が環境・社会に及ぼす負の影響影響(負の外部性)の低減(ダブル・マテリアリティ)に継続的に取り組むべきと思われる。自社の事業が環境・社会に及ぼす負の影響の低減に取り組まなければ、ダブル・マテリアリティ(=環境・社会マテリアリティ)はシングル・マテリアリティ(財務マテリアリティ)に変化するからだ。そして、山吹氏が提案されたように、筆者もこの点において環境経営学会は大きな役割を担うべきと考える。(令和6年3月13日)