
『サステナビリティの大いなる敗北~ISSB基準確定』 山吹 善彦
2023年7月14日
2023年6月26日、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が「全般的な開示要求事項(S1基準)」および「気候関連開示基準(S2基準)」の最終基準を公表しました。
これまで、アルファベットスープとも云われ、多くのガイドライン、フレームワーク、各種規範が乱立したなかで、財務報告がIFRS傘下のIASBに収斂したように、サステナビリティ報告に関しては、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)基準としてまとめられました。全般的な開示要請事項と気候変動関連基準から適応がはじまり、今後「ガバナンス、戦略、リスク管理、指標及び目標」のTCFDフレームワークに基づき、人権、生物多様性、人的資本などについても基準が追加されようとしています。企業活動/財務面への影響を比較可能とする、最低限開示すべきフレームワークが確定し、サステナビリティ開示の方向性は決着したといえます。
しかし、この全般的な開示要請基準において、その解釈と定義、適応の仕方で注目していた「マテリアリティ/重要性」のとり扱いについては、サステナビリティの大いなる敗北といわざるをえない結果となりました。
今回のS1基準におけるマテリアリティの定義は、「情報を省略、誤記、不明瞭化したときに、一般的財務報告の主な利用者(投資者、融資者、その他の債権者)の決定に影響を与えると合理的に予想される場合、その情報は重要である」(大和総研 2023)*1 となっています。これは、1976年に米国最高裁判所が定義した「合理的な株主が投票方法を決定する際に、投資家にとって非常に明白に重要であり、重要性の問題に関して合理的な考え方が違うことがなく重要視する可能性がかなり高い場合、省略された事実は重要」(筆者翻訳編集 TSC Industries, 1976)*2 というマテリアリティの定義とほぼ同義です。SASBによる「脱漏されていた情報がもし開示されていたら、利用可能な情報の総体が著しく変更されていたであろうと合理的な投資家が考える可能性が高いもの」という定義が、この最高裁の定義を踏襲しただけに当然の結果となりました。この意味するところは、環境・社会のトピックスにおいて、企業活動や事業に影響を及ぼす要素を重要とする「シングルマテリアリティ」のみを適応することが正式に決定したということになります。
そもそも、こういった「シングルマテリアリティ」の考え方に対して、1989年のエクソンバルディーズ号原油流出事故以来、流出した原油(外部不経済)が環境や生態系に与えた影響について、企業が取るべき責任、そしてその責任の進捗及び結果を情報開示することでステークホルダーから「操業の許可(License to operate)」を承認してもらうという仕組みづくりが行われてきました。これをアカウンタビリティ側面から促進したのがGRIであり、その中心的な考え方として、社会/環境に対する組織によるインパクト要因を「マテリアリティ」と位置づけ、ガイドラインの普及を行ってきたともいえます。GRIやISO26000の苦労と積み重ねで、社会や環境に組織が及ぼす影響の大きさを配慮して重要性を特定する「ダブルマテリアリティ」の適応が、社会環境の激変とともに必然的に事業会社に受け入れるようになってきていました。この流れは、ヨーロッパにおいて、タクソノミー、欧州企業サステナビリティ報告指令;Corporate Sustainability Reporting Directive(CSRD)などの合意により、ダブルマテリアリティの実践としてより広範に反映されようとしています。
そんななか、ISSBの基準が提示され、日本ではサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2024年度中に日本語版の確定基準公開に向けて動きだしています。EUのように、この基準とは別に、国として「ダブルマテリアリティ」を内包した基準を提示し、実践していくことは考えにくく、ISSB基準に従うことでよしとするという今後の流れが予想されます。
1990年代以降、企業に対し、事業活動における社会の持続可能性への負荷低減の啓発を続けてきたサステナビリティ関係者の活動の積み重ねは、事業活動継続のために配慮すべき新しいファクターとして絡み取られ、財務資本提供者による投資の意思決定を支援することに変容しようとしています。現在、気候変動の数値把握/システム対応のためのビジネス、気候変動をビジネスに活かすコンサルテーション、人権、生物多様性、人的資本と、サステナビリティ関連ビジネスが活況を呈しているのは、関係者にとって皮肉な結果ともいえます。
企業が社会や環境にもたらす重大な影響(外部不経済/負の外部性)に対して、どこまで責任をとるのか、企業の責任を追及するため、投資家も含めたステークホルダーからプレッシャーを与えるという本来の活動は頓挫しようとしています。事業会社が負の外部性をどこまで考慮すべきかについて、一部の責任投資家による「対話」に望みを託したいけれど、大勢においては、企業や投資家にとって収益を上げ続け、成長をつづけるための重要度/マテリアリティのみが適応されようとしています。
欧州のガイドラインは、投資家にとどまらない影響力のあるステークホルダーの意向やチェック機能が生かされることで、厳しい基準が設定されようとしています 。*3しかし、日本においてISSBを超えるガイドライン策定の動きはなく、金融庁、経済産業省が中心となり、ISSBに追従することで企業の責任範囲に決着がついた、とすることが多くの関係者にとって都合がよいこととなります。
この「負の外部性」を無視することは、直接/間接的に次の世代に負債を残し、その負の影響は加速化し、大きくのしかかってきます。
1990年頃から、30年を経て、サステナビリティ実現の取り組みは大きく進展したようにみえながら、欧州を除き本質的には1970年代から変わっていないという、大いなる敗北に終わったともいえます。
ISSB基準の運用により、金融/事業会社に最低限配慮すべき事項を普及させながら、産業界、学術機関、行政、NPO/NGO、そしてマルチステークホルダーに対し、「負の外部性」を踏まえ働きかけを行うことは重要です。環境経営学会としてその役割を再認識し、次のアクションを促すような活動に転換していく必要があると思います。(2023年7月14日)。
*1 大和総研 藤野大輝 2023 「ISSB の基準(IFRS S1、IFRS S2)が確定」
*2 JUSTIA, 1976 “TSC Industries, Inc. v. Northway, Inc., 426 U.S. 438” https://supreme.justia.com/cases/federal/us/426/438/(2023年7月時点)
*3 KPMG 加藤俊治 2022 「欧州CSRD/ESRSの概要と3つの対応オプション」
https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2022/11/sustainable-value-csrd-esrs.html(2023年7月時点)