menu

メニュー

『企業が生き残る道としての「ネイチャー・ポジティブ」』 宮崎 正浩

世界の生物多様性は、森林伐採などによる損失が継続しており、約25%の野生生物が絶滅の危機に瀕している。このような生物多様性の損失は温室効果ガスの排出増をもたらしている。気候変動ではパリ協定による1.5℃目標の実現に向けて各国がカーボンニュートラルを目標としているのに対し、最近、生物多様性では「ネイチャー・ポジティブ」という言葉が使われるようになった。これは、人間の活動が自然に与える負の影響を減らし、ゼロにするだけでなく、自然を再生することなどによって生物多様性に対し正の影響を与えることを意味している。
2022年12月に開催された生物多様性条約第15回締約国会議では、2030年及び2050年を目標年次とする「昆明・モントリオール生物多様性枠組」(GBF)が採択された。この枠組みでは、2050年までに「自然と共生する世界」を目指し、2030年までに生物多様性の損失を止め逆転して回復軌道に乗せる(ネイチャー・ポジティブ)ための緊急な行動をとることを目的としており、世界の陸地と海の30%以上を保全する30by30など23の目標を掲げている。では、ネイチャー・ポジティブは実現可能であろうか?
過去を振り返ってみると、生物多様性条約では、2010年に名古屋で開催された第10回締約国会議において2020年までに生物多様性の損失を止めるための政策を講じることを目標とした「愛知目標」が合意されたが、(保護区の拡大などで進展はあったが)全体としてはほとんど達成できなかった。その主な理由は、各国の開発政策の中で生物多様性が主流化しておらず、生物多様性の損失を助長するような政府の補助金を減らすことができなかったためとされている。
この反省に立って新たに合意されたのがGBFである。生物多様性条約に加盟している196か国がネイチャー・ポジティブという目標に合意したことは画期的である。生物多様性条約では各国の政策は各国の自主的な判断に任されており強制力はないが、GBFによってネイチャー・ポジティブの実現に取り組む責任が生じたことになる。しかも、生物多様性の損失が継続すると気候変動の1.5℃目標の達成も不可能となり、気候変動よる自然災害などの被害は甚大なものとなる。このため、世界各国はカーボンニュートラルとネイチャー・ポジティブの両方の実現に向けた社会の変革(GX)に取り組まざるを得ない。
生物多様性条約では、2008年頃から企業の役割が期待されるようになり、世界的な企業が生物多様性保全に取り組み、最近では先進的な企業がネイチャー・ポジティブを公約するようになっている。日本でも、ネイチャー・ポジティブを目標とする企業が増えている。例えば、日経ESG(2023年1月号)の記事では、ネイチャー・ポジティブを目標とする日本企業12社を紹介している。この背景には、世界的にESG投資が大幅に拡大している中で、企業の生物多様性保全の取り組みがその財務業績に影響を与えるとの認識が広まったことがある。このため、生物多様性に関するリスク情報開示を進めるための自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が2021年に設立され、その枠組みは2023年9月に完成する予定である。
生物多様性保全や再生への実際の取り組みには、特有の困難さがある。その一つは、気候変動ではCO2換算での温室効果ガスという一つの指標があるのに対し、生物多様性には単一の指標がないため、数量的な評価が難しいという課題である。しかし、多くの国では自然地域を開発する場合に、開発事業が生物多様性に与える影響を回避・最小化・代償することによって、全体として生物多様性への影響をゼロ又は正とすること(生物多様性オフセット)が法的に義務化し、実際に運用されている。これらの経験を基にすれば、実務的に利用可能な数量的な評価指標はできるはずである。このような評価指標を含めたTNFDの枠組みが完成すれば、企業の取り組みが本格的に進むことは間違いない。
企業の活動に用いる天然資源の多くは自然に依存している。そのため、生物多様性の保全とその利用が持続可能であることは、企業の存続の条件となる。また、企業のネイチャー・ポジティブへの取り組みを支援する技術やツールを提供できる企業にとっては事業拡大のチャンスとなる。ネイチャー・ポジティブに戦略的に取り組み、その実現に貢献できる企業は、社会の中で高く評価されるだけでなく、市場での競争力を確保し、生き残っていく時代になったと言える。(2023年3月13日)。