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『パーパス経営で求められるソーシャル・コミュニケーション』 長谷川 直哉

日本経済新聞社は日本企業の発行する統合報告書のさらなる充実と普及を目的として、「日経統合報告書アワード」を実施しています。同アワードは機関投資家や監査法人、コンサルティング、学識経験者が議論を尽くし、企業価値への貢献観点から開示情報の質と量を評価したものです。2011 年には23 社しか統合報告書を発行していませんでしたが、2021 年には716 社と約30 倍になりました。同年の「日経統合報告書アワード」には290 社がエントリーしています。こうした背景もあって、2022年のESG・パーパス関連の新聞広告は前年比で65%も伸びており、毎月50 件もの関連広告が出稿されています。
「日経統合報告書アワード」の第1次審査を担当した感想を申し上げると、統合報告書で語られている事業戦略とサステナビリティ戦略はそれぞれ素晴らしいのですが、全体を通して見たときに、「この企業はいったい何を目指しているのだろうか」という疑問を抱くケースが少なくありません。こうした疑問が生じるのは「当社が社会に存在している意義は何か(Why)」を起点に、「どのような企業を目指すのか(Where)」に至るロードマップが描かれていない事が原因だと考えています。
担当者は一所懸命作っているのですが、全体として事業戦略とサステナビリティ戦略が統合できておらず、長期的な視点で見た「目指す将来像」がイメージできない企業が多いのです。この点がソーシャル・コミュニケーションにおける日本企業の課題といえるでしょう。
日本企業が成功した理由は、「機能」「品質」「価格」に優れていたからです。今やこの3要素は発展途上国の企業にキャッチアップされており、差別化が難しくなっています。一方、ビリーフ・ドリブン消費者が台頭しつつある昨今、製品に込められた企業の想いやストーリーが消費者から選ばれる要素なってきます。「どういう価値観を起点にして、誰とパートナーシップを組んで、何を社会に提供したのか」というサステナブル・ストーリーが訴求ポイントになるのです。
統合報告書の構造をみると、冒頭におかれたCEOのメッセージでは「自分たちが今の時代をどう捉えているか」が語られています。「VUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)時代」、「人口減少時代」、「地球温暖化」、「脱炭素社会」、「多様性社会」などがキーワードとなっています。
次に自社が重視する社会課題のテーマとして、「ウェルビーイング」、「レジリエンス」、「ダイバーシティ&インクルージョン」、「エコシステム」、「社会課題の解決」、「人中心」という言葉が増えています。
具体的に取り組んでいる内容については、圧倒的に「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」、「SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)」、「カーボンニュートラル」が多く、最近は「人的資本経営」も増えつつあります。統合報告書の最後にはお決まりのように「企業価値の向上を実現します」ということが記されています。こうしたパターン化された情報開示はステークホルダーの共感と信頼に結びつくのでしょうか。信託銀行等が情報開示のコンサルタントを請け負うケースが増えていますが、自分の言葉で語ることが共感と信頼を得るポイントなるといえるでしょう。
コミュニケーションに関する日本企業の課題として二点を指摘します。一つは「SDGs等で提示された課題を全てやらなければいけない」という強迫観念を持っていることです。事業戦略とサステナビリティ戦略を統合した形で、「当社はこの領域でサステナビリティ経営を実践します」と自信を持って言わなければなりません。しかし、「取り組んでいない部分があると批判されるのではないか」という懸念が強すぎるように感じます。
二つ目は目的と手段を混同していることです。企業のサステナビリティ推進部門の方々に「10年後、20年後にどのような企業を目指すのですか」という質問をすると、明確な回答が返って来ない事が多いのです。中には「脱炭素企業が目指す企業像です」と答えた方がいたので、「それは目的ではなく手段ではありませんか」と尋ねました。経営者が「ありたい企業像やビジョン(where)」を示さないまま統合報告書を作成していると、何を目指しているのか曖昧となってしまい、スタークホルダーからも共感されないという結果に終わってしまいます。
企業を取り巻く環境変化のスピードは加速し、変化のボラティリティも拡大していくでしょう。こうした時代に社会からの信頼を得るには「Why(存在意義)からWhere(ビジョン)へ」というロードマップを中核とするソーシャル・コミュニケーションが欠かせないのです。パターン化された情報開示からの脱却が日本企業に求められています。(2022年9月15日)