
『自由闊達な学会に』 岡本 享二
2022年6月24日
執行部に替わって昨年度は懸案だった事務所の閉鎖と外部委託を滞りなく行った。事務局長(代行)をはじめ、副会長、新任理事らの献身的な働きによって外箱の体制は整った。これによって、皆さまから集めた学会費のほとんどが事務所経費に消えることを食い止め、本来の目的である研究開発費に回すことができると期待している。
5月からは研究活動、研究発表大会、学会誌の充実に向けて小委員会(W/G)を設けて鋭意検討を進めている。ここで気になったことは学会内の議論においても、日本的な日和見的な意見や、忖度の傾向が散見されることだ。
長年外資系企業に勤め、大学院の講師になってからも海外との往来が頻繁にあった私から見ると、歯がゆく感じることがある。私の体験から、欧米人のメンタリティーと行動力に注目していただきたいとの思いで筆をとってみた。
人物① 三井信雄(みいのぶお)
日本IBM に入社して本社の営業企画を経て、創立直後の藤沢研究所にProduct Plannerとして異動した。IBM Corporationから直接ヘッドハントされた元NHKの技術者、三井信雄氏が研究所長だった。彼は上位管理職には厳しかったが、若手には育ててやろうという配慮があった。Software EngineerやHardware Engineerをはじめとして、最盛期には500名近く在籍していたが、Product Plannerは比較的、研究所長と顔をあわせる機会が多かった。
「岡本君、この会社は(←NHKと比較している)なんでもManualに書いてあるから、わからないことはManualで解決できるよ」。ある時、オフィスを回っていた三井さんが私の前で立ち止まって、「なんだおまえ、英文を辞書を見ながら訳してんのか。それじゃあ仕事になんねえよ」。そんな調子で容赦がない。
その一方、技術報告会などで所長が説明されたとき質問をすると喜んでくれた。「Nice Question!、、、」「Good Idea!、、、」と誉めてくれた上で、回答と私の間違いも正してくれた。米国への出張も頻繁だった。最初こそ同僚と二人で赴いたが、それ以降は一案件一人が原則で鍛え上げられた。
三井さんの口癖は3つあったように記憶している;
「会議に出たら皆と同じ意見は言うな!他人と違う(ユニークな)意見を出せ」
「セミナーに出たら最低3つは質問してこい」
「朝、会社に来る前に今日は何をするか考えてこい」だった。
三井さんは日本IBM の技術系副社長になり、最終的にはIBM Corporationの副社長になった。その時の紹介文には、“Nobuo Mii is fluent in three languages - Japanese, English, and technology. ”と書かれていた。私がIBM Corporate Financeに14年間務める礎となってくれたのが三井さんだ。
IBM勤務から大学院講師へ
Worldwide製品の開発をしていた藤沢研究所、IBM Corporate Finance、IBM 環境/CSR部門と都合33年間勤めた。IBM 勤務時代の最晩年には東北大学(当時の学長:西澤潤一)大学院・環境科学研究科の立ち上げに3年間協力した。それも縁となって、その後、都立大学(当時の学長:西澤潤一)大学院MBAで現在まで16年間に渡って2つの講座を受け持つことにつながった。
その間、文部科学省からの依頼で4回にわたり欧米の企業、NGO/NPO、研究機関、大学を40か所近く調査研究に赴いた。中でもイギリスのシューマッハカレッジでの学びは現在でも生きている。この大学の特徴は世界中から講師と受講生が集まることだ。私が参加した時は26名の受講生が英国、フランス、スイス、イタリア、米国、ブラジル、ベネズエラ、日本の8カ国から来ていた。一方の講師は、一週間単位で先生を招聘し、集中講義が行われた。(一週間に90分の講義が15回あって、2単位の修得となる)
中でも二人の講師が印象的だった。
人物② Gustavo Esteva
メキシコ人で国際的に有名な教育学者とのことだったが初見だった。
「From underdevelopment to post development」「People’s reaction」「The commons – a contemporary answer」「Cultural regeneration」というテーマで、熱のこもった講義とディベートが繰り返された。メキシコの一地域(Region)であるオハカ(Oaxaca)市民がメキシコ政府から独立を勝ち取るまでの過程を、豊富な映像と現地人の証言で構成した今までに体験したことのない形態の講座だった。内容もさることながら、この講座で印象的だったのは、受講生からの反発が起きたことだ。2日目だったと記憶しているが、「そんな一地方に偏らないでもっとグローバルな視点で講義をしてほしい」「この話を10年前に聞きたかった」等など、一部の受講生から講義に対する不満が出始めた。私も遠くから来て聴きたくなるような話ではないなぁと思っていたので、不満は述べなかったが、「外人は思ったことは先生に対してもはっきり言うなぁ」と感心して観ていた。しかし、Gustavoは微動だにしなかった。「最後まで話をお聴きなさい」と言って講義を続けた。
メキシコの一地区住民の抵抗運動から現代社会の表裏を俯瞰する講座で、「教育は体制化された時点で古いものになり、政府によって良い意味でも悪い意味でも管理される」「女性の活躍こそ21世紀に期待される最大のものである。単なる男女機会均等を超えて、女性がもっともっと表に出てくることが望まれる」など、力強いメッセージが続いた。さらに、「真理は現場にあり、現場を知らずして世界を語れず。もっと発展途上国の現地の声や現状に目を向けよ。そこに21世紀の発展がある」「歴史や国がいう真実(各種報道)などはまやかしが多い。現場を通してこそ次の世代に真実を伝えることができる」と。
受講生は一日の講義が終わると、Small groupを作って意見を交換し、さらに図書館で彼の書物に目を通し、インターネットで過去の歴史や真実を調べた。
日を追って彼の講義の重要性に目を覚ました我々は、最終日には心底、受講して良かったと思ったものだ。受講生の一人Yvan Rytz に至っては「自分の目で確かめてくる」と、講座が終わった後、早速メキシコのOaxacaに飛び立った。
人物③ Vandana Shiva
Vandanaは著名な環境アクティビスト。この時のセミナーを受講する目的も彼女の薫陶を受けようと思ったのがきっかけだ。”Biopiracy” ”Protect or Plunder?” ”Water wars”など問題作を著している彼女の講義は、議論が熱を帯び、ときにはVandana vs 受講生全員とのDebateの形になることもあった。
1対26でも彼女は負けていなかった。Vandanaの文章やスピーチには独特の力強さがあった。“それはなぜか”を考えると、真理を追究してきた者のConviction(真理に基づいた自信)と、語彙力が卓越していることが理由だ。使用目的に意味がぴったりな単語。(どうしてこの単語がこういう局面で使われるか)単語に歴史があるように感じた。彼女が高度な教育を受けたことを強く感じた。
Symptom:兆候、きざし、しるし(通例、望ましくない、悪い出来事に用いる)
Solidly:強固に、堅固に、満場一致して
Fear:(悪いことが起こる)可能性、恐れ
Exploitation:開発、開拓(に名を借りた搾取、私的利用)
Disparate:まったく異なる、本質的に異なるもの等など、、、
Conviction(事実に基づく確信、信念)についてもIBM時代には同意語のConfidence(単なる確信、自信)を使っていたが、ConfidenceとConvictionの違いがVandanaにはあった。
Critical Friendとは
文科省の依頼で英国に3週間滞在してESD(Education for Sustainable Development)調査として9カ所を回った時、AA1000で著名なAccountAbility社を訪れた。今回の調査期間中は一部の先生方から、通訳を付けて欲しいとの要請があったので、日本から来ていたエジンバラ大学の大学院生が通訳として同行していた。
同社のオフィスでStandard ManagerのDaniel Waistellに取材を行った。
会社概要やAA1000の創案目的、苦労話に続いて、今では日本でも当たり前に使われている「Inclusivity、Materiality」について、Completeness、Responsivenessとともに説明を受け、実際の顧客(企業をはじめ、自治体との関係も深いようだった)との活動状況を詳しく伺った。席上Danielが「お客様とは企業、自治体にかかわらず、どんなことでもDebateを繰り返えすので、我々とはCritical Friendの関係である」との説明を行った。件の通訳は「議論を繰り返して嫌悪な関係になることもしばしばである。」と訳して報告書にもそのまま記載されそうになったので、私から訂正を行った。
日本語的にはCriticalは確かに「批判的」とか「危機の」と訳しがちだが、これは「腹を割って話し合える(良き)友達」の意味である。日本では相手を傷つけない程度の議論や忖度がはびこっているので、日本文化に染まっている通訳としては止むを得ないのかもしれないが、欧米のBusinessの現場は双方の主張を戦わせて、お互いに腹を割って話し合うことが最初のステップなのである。
以上のようなことを思い浮かべながら、日本の社会も当学会も、自由闊達に議論ができる土壌を作らねばと念じる者である。(2022年6月24日)