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『Erasmus、英語、CSRD―EUで1年暮らしてみて』九里 徳泰

2020年代になり、とても残念なことだが大国も加担する戦争が続いている。戦後20年に生まれた私は子どものころ傷痍軍人を見ているし、戦争で親戚も亡くしている。戦後の高度成長による復興も子供ながらに体感していた。

2025年3月まで、EUのクロアチア共和国リエカ大学経済系学部において1年間の研究と教育に携わる機会を得た。クロアチアは2013年にEUに加盟し(現在では最後の加盟国)、その後2023年にシェンゲン協定に加盟、通貨ユーロを導入した。ユーゴスラビア紛争のクロアチア独立は1995年8月。戦後30年の国で1年間生活したことになる。日本で言うと昭和50年。マクドナルドはすでに銀座で開業し、生活で使う電化製品もおおよそ家庭にそろい、欲しいものが3C「カラーテレビ」「クーラー」「車」と言われた時代である。

戦後の成長と壮大な社会実験をしているヨーロッパ連合での生活が始まった。

この経験を通して強く印象に残ったのは、日本とEUの大学制度のとりわけErasmus制度の存在である。Erasmus(European Region Action Scheme for the Mobility of University Students)は1987年に設立された、EU加盟国間の学生交流を促進するスキームであり、単なる留学支援にとどまらず、ヨーロッパの大学間ネットワークの構築を大きな目的としている。私はこの制度を利用して各国から集まった学生たちに授業を行い、ディスカッションや学術的な調査・分析の指導を担当した。教室にはフランス、イタリア、スペインなど多様な文化背景を持つ学生が集う。知識の習得だけでなく、価値観の交換の場としても機能している。Erasmus制度の特徴は、その手厚い支援にもある。授業料の免除に加え、宿舎の提供や一部旅費の支給、さらには学生食堂を格安な学生料金で利用できるなど、経済的負担を大幅に軽減する仕組みが整っている。そのため、南はギリシャ、東はポーランド、西はフランスといった広範な地域へ、学生たちは1セメスター(約6か月)の短期留学を実現している。さらに特筆すべきは、「モビリティ」と呼ばれる複数大学への留学が可能である点である。1つの大学に入学すれば、1セメスター以外は自分の大学から離れてEUの各大学で学べるという点である。単位互換制度が確立されているため、留学を経験しても規定年限で卒業することができる。この柔軟性と制度設計は、日本の大学制度と比較しても非常に先進的である。

このような人材の移動の自由は、EUという枠組みそのものの制度的基盤とも密接に関係している。クロアチアはEUに加盟しヒト・モノ・カネの移動がより円滑になった。これにより、学生たちは国境を意識することなく複数の国や大学を行き来し、学びの場を広げることが可能となっている。Erasmus制度は、こうした統合の成果を教育の現場に具体的に体現したものと言えるだろう。

教育現場において興味深かったのは、言語としての英語の役割である。私は授業を英語で行ったが、学生は全員英語を母語としない非ネイティブスピーカーであった。それにもかかわらず、彼らは英語を「共通言語」として自在に使いこなし、議論を展開していた。ヨーロッパにおける英語ネイティブスピーカーはイギリスやアイルランド、マルタなどに限られるが、それ以外の国々では英語が実質的な共通コミュニケーション手段として機能している。2021年のデータによれば、世界中で英語を扱う人々のうち、ネイティブスピーカーは約3億6千万人で26.7%に過ぎず、約9億9千万人が非ネイティブスピーカーであるという。この事実は、英語がもはや特定の国や文化に属する言語ではなく、世界中の人々が共有する「実用的な言語」へと変化していることを示している。英語は多様な背景を持つ人々が互いに理解し合うための柔軟なツールとなっているのである。その結果として、英語ネイティブスピーカーはむしろマイノリティとなり、言語の主導権は非ネイティブ話者へと広がりつつある。

Erasmus制度と相互理解の英語の汎用化の意義は、語学力や専門知識の向上にとどまらない。むしろ重要なのは、国境を越えた人的ネットワークの形成にある。学生たちは異なる文化や歴史を背景に持ちながらも、共に学び、生活することで深い信頼関係を築いていく。その結果として生まれる「友人関係」は、単なる一時的な交流ではなく、将来的にも持続する国際的なつながりとなる可能性を秘めている。戦争や対立が依然として存在する現代において、「隣国と仲良くする」という状況の実現は決して容易なものではない。しかし、その基盤はこのような若い時期の「人と人」との関係性の中で育まれるのではないかと、強く実感した。

近年のEUでは、企業活動や社会全体の持続可能性に関する規制も強化されている。その代表例がCSRD(Corporate Sustainability Reporting Directive)である。CSRDは企業に対して環境・社会・ガバナンス(ESG)に関する情報開示を義務付けるものであり、企業活動の透明性と説明責任を高めることを目的としている。しかし、私のEU滞在中にその弱体化を目の当たりにした。CSRDを各国家が実装するにあたり2024年7月までにEU各国の議会において法制度化されなくてはいけないのだが、ドイツはこの期限を守れず遅延した。その結果、欧州委員会は違反手続き(infringement procedure)を開始している。フランス政府はCSRDについて、環境・気候移行のための重要な枠組みであると認めつつも、企業負担が大きすぎるとして報告義務の大幅な簡素化(simplification)をEUに求めた。その結果、オムニバス法案(Omnibus package)につながる。環境経営、CSRの先進地である欧州の本音を間近に見た。

CSRDの理念(サステナビリティ)は維持するが、企業負担が大きすぎるため、制度は大幅に簡素化すべきという「本音」である。理想(環境・人権規制強化)と現実(競争力・企業負担)の、現実が勝った瞬間をEU現地で確認した。これが、理想と現実の調整過程であるか、そうでないのかは今後の歴史が証明するだろう。しかし、日本でもシングル・マテリアリティによるサステナビリティ活動の評価であるSSBJ(サステナビリティ開示基準(Sustainability Standards Board of Japan))の有価証券報告書への準拠記載など、これまでにも増して環境・社会インパクトから企業活動の財務インパクトへの偏向が起きている。これはサステナビリティの主流化こその反応であると私は理解している。

リエカ大学での1年の経験は、単なる研究活動にとどまらず、教育、文化交流、そして国際理解の重要性を改めて認識する機会となった。戦後30年という時間を経たクロアチアの現実は、過去の記憶と現在の統合が交錯する場であり、その中で育まれる教育と人のつながりから未来への希望を私は感じた。帰国後に奉職した実践女子大学国際学部の3年生を1名この夏から1年間リエカ大学に交換留学を出すこととなった。Erasmusからすると大海の一滴よりも微力であるが、最初の一歩が肝心である。
「越境」的な学びと交流は、単なる教育プログラムを超え、平和と相互理解を支える重要な基盤であると言える。

「日本は大学制度だけでもEUに加入すべきだと」いうのが滞在1年後の私の想いである。

(2026年4月13日)